vol.146 9月1日は防災の日
防災の日は、『政府、地方公共団体等関係諸機関をはじめ、広く国民が台風や高潮、津波、地震等の災害について認識を深め、対処する心構えを準備するため』として、1960年に制定されました。その日は、関東大震災の発災日(1923(大正12)年9月1日土曜日11時58分44秒)で、学校では始業式が行われ、勤労者の多くは土曜日午後がお休みであったため、帰り支度をしており、家庭にいた多くの市民は昼食の準備中でした。そのため、二次災害として火災が各地で起こり、死者行方不明者14万人焼失家屋200万件という大惨事となりました。その約70年後、1995年の阪神淡路大震災では、約25万人が被災者となり、災害復興ボランティアの活躍が注目され、ボランティア元年と呼ばれるなど、発災時はもとより災害復興とボランティア活動の関係性は強くなってきたように思います。
では、振り返って、大正時代の関東大震災とボランティアは関係があったのか調べてみました。副題に「消防・医療・ボランティアから検証する」とある「関東大震災(鈴木淳氏著2004年発刊)」を読み返しました。関東大震災の記録は数多くあるが、「ボランティア」としっかりと明示されている書籍はそれほど多くありません。第四章の大正の震災ボランティアには、学生救護班、町内会、在郷軍人会、青年団、女子青年会、消防組などの名称で、登場します。被災地東京では、役場や公園、皇居前の広場など、被災した市民が多く非難してきた場所での炊き出し等の食糧支援などは、発災当時から、近隣から駆け付けた来援者と呼ばれる市民により実行されました。司祭力離れようとする市民に向けては、鉄道駅沿線各地で救護所を設け、医療や衣類食料などの支援、簡易の宿泊所の提供といった救護活動が、行政職員に加え、前出した地域の諸団体が活動していたといいます。その動きは全国に広がり、青森から鹿児島まで行われました。発災時のボランティア活動は自主的、自治的に行われた事実はあったと言えます。しかしながらその活動は、家族や同僚、同郷など人々の縁による結束が基礎となっていることが多く、現代のように地域とのつながりが弱くなっている状況で、「どう動けるかは現代人の知恵が問われる。」と鈴木氏は締めくくっています。
2021年9月、コロナの感染拡大は大規模災害に匹敵するといわれる中、いつ起こるかもしれない自然災害への個人としての心構えだけでなく、地域の一市民としての心構えを日頃活動を共にしている仲間と「その時、何ができるのか。何をすべきなのか。」を話し合ってみる必要があると思います。内閣府防災情報のページには、過去の震災復興の教訓から、行政とNPO・ボランティアの連携による複数年にわたる息の長い支援の必要性がガイドブックを通じて語られています。「事前に予定されていなくても何かあれば動くよ。」と言いつつ、動けないことも多い。「その時、何ができるのか。何をすべきなのか。」を地域全体で共有しておくと安心できますね。(て)